みきけいこのフォトーク!

写真と、日々のあれやこれやのよしなしごと

母を亡くした日の朝に

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先日に続いて、もうひとつ夢の話をしてみよう。
母が亡くなった日の早朝にも、夢を見たのだ。

実家のある地元の駅の目の前に何かの受付のような建物があり、そこに長い行列ができている。

なんだろうと思いながら何の気なしにその側を歩いていると、
列の後方に母と母方の祖母の顔をみつけた。

(一部抜粋)
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故人は夢では喋らない…らしい

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「亡くなった人は、夢に出てきても喋らない」という話を聞いたことがある。

自分はその時に初めて耳にした。
彼女から以外は、聞いたことのない話だ。

教えてくれた相手は「たしかに夢には出てくるけど、
話しているのを見たことがない」と語っていたけれど…

世間的にはいったいどうなんだろうか?

(一部抜粋)
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満足させたいのは、だれ?

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端から見たらかなりの挙動不審者だろう、ということは理解していたけれど。
「やってみたい!」という欲求の力はすごい。

「あそこの奥さん、自分にカメラを向けて小芝居してるナルシストみたいよ…!?」
というヒソヒソが出回る可能性については頭からすっ飛ばして、堪能していた。

(一部抜粋)
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わたしとカメラ

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カメラとの出会いは遅い方だったと思う。
22歳の時、大学生最後の1年でわたしとカメラは出会った。

それまでは写真を撮るということに対して、特に興味も無かったように思う。

研修で生まれて始めていった海外でも、半月近くを過ごすというのに
たった1台の写ルンですを持って行っただけで。

記録に残すよりも、記憶に残せば良い…当時はそんな風に考えていた。

(一部抜粋)
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写真の話、イルミネーションと子供

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「自然光でのナチュラルな空気感での撮影を」がコンセプトな上に、
腕力がなく機動性を確保したいのでストロボなどの機材は導入していない。

それどころかメインカメラは5Dを使用しているので内蔵フラッシュさえ付いていない状態だ。
 
 この装備で!ちょろちょろと!動き回る!子供を撮るのか!!!
 しかも失敗の出来ない、仕事として…

と考えたら、なんだか逆にちょっとワクワクしてきた。


(一部抜粋)
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わたしが見た、あなたの世界は

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出張撮影、というのは。
誰かの人生のある瞬間だけ、ひょいっとお邪魔させていただくお仕事だ。

だから自分の子供もいないというのに。
卒園式やら入学式の参列経験があったり、七五三のご祈祷を体験したりしている。


(一部抜粋)
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ソール・ライターの、目を借りて

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自画自賛のような台詞だけれど…

自分の写真というのは基本的に「自分好み」の塊のようなもので、
好きで満たされている。

撮り手と鑑賞者が同一人物であればこそ、鑑賞時にその視点に入り込むことも容易い。
だからこそ、飽きず眺められる。

それが全くの他人の写真でも同じ感覚が得られるだなんて思いもよらなかった。


(一部抜粋)
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